借りたものを返さない人の心理について

ここでは、「なぜ借りたものを返さないのか」「どうして平気でいられるのか」「開き直り」などの心理面に触れてみたいと思います。

借りるという行為は、日常私たちが意識しないほど頻繁に行われています。ちょっとボールペンを借りたり、消しゴムを借りるというように、至極些細な行為に見えます。しかしこれは、借りたものを元に戻す(返す)というごく当たり前な、私たちの無意識下に埋め込まれた暗黙のルールの上に成り立っています。借りたものを返さない人たちは、このごく当たり前のことがなぜ出来ないのでしょうか。

彼らの特徴は大きく分けると2つです。
1つは「タダで借りたものの価値を低くみる」という人間の心理が、すぐに働くことです。借りるのはタダでも、その物の価値はタダではないということが、あまり良く理解できていません。

例えば、10万円を貸してくれと頼んだら、すんなりと貸してもらえたりした場合、「ああ、この人にとって10万円なんてポイと貸してくれる程度の金額なんだな」と勝手に解釈し、「あの人にとってはたいした額じゃない」=「10万円なんてたいした額じゃない」と勝手な理屈で価値を下げてしまいます。

10万円というお金は10万円の価値があり、それ以上でもそれ以下でもない、ということが理解できないわけです。
こうなると、彼にとっても10万円はたいした額ではなくなり、「10万円くらい返さなくたって、たいした痛手にはならないだろう」「たいした額ではないのでいつでも返せる」というふうに、自分に都合のいいように思考が移ってゆくのです。

もう1つの特徴は、「手に入れたものを自分のものとしたい欲望を抑えられない」というものです。
強い所有者意識(願望)です。
人は所有物を手放すことを嫌います。一度手にして喜びをおぼえた物なら、なおさら手放すこと
を嫌がります。

実際、人から借りたものは当然自分の所有物ではありませんが、こういった人々は、すぐに心理
的な所有者意識を抱く傾向にあります。
ビジネスではこれを逆手に取って、例えば洋服屋で試着させるのは、サイズや色合いなど自分に似合っているかどうかを確認させるためですが、もう一つ、店側からみると、個人の所有者意識をかき立てる効果を期待しています。車の試乗も同じ事が言えます。
また、テレビや雑誌の通信販売では、先に商品を届けて後で払うという手法があります。品物が届いて、箱から出して、使い始めると、所有者意識が刺激され、返品したくない、または返品は損だと思うようになります。
(実際には、買う前のセールストークや商品説明の段階で、すでに所有者意識を強く刺激するような工夫が散りばめられているのですが、当サイトにはあまり関係がないので、ここでは触れません)

ただ、この場合は、売買を目的としている両者で成立しているやり取りなで、売る側からのテクニックで個人が所有者意識を駆り立てられても、特に不自然ではありません。
しかし、返さない人は、借りたものも同様に、それを自分のもののように錯覚(または、思いこもうと)してしまう傾向にあります。

借りたものを返さない人には意思の弱い人が多い

さて、こういった人たちはなぜこの様な心理状態になるのでしょうか。
犯罪心理学から言葉を借りると、犯罪者の共通する特徴は「意志欠如」であると言われています。

軽犯罪を繰り返し刑務所に何度も出たり入ったりする犯罪者は特にこの心理が顕著であり、「意志欠如」はあらゆる犯罪のベースになるものだと言う犯罪学者さえいます。
「意志欠如」とは簡単にいってしまえば「意志の弱い人」=「自分がない」ということになります。

「自分がない」のがなぜ先の心理状態に関係しているのかというと、逆の言葉「自分がある」を考えてみればよく解ります。
「自分がある人」というと、「自分自身やその行動を客観的に評価し、考察することの出来る人」、あるいは、「芯が通っていて、周りの環境や状況に容易に左右されない人」と言うことが出来ます。

一方「自分がない人」はこの逆で、「自信の感情や行動を客観的に評価、考察できず、状況によって心理状態も豹変する」といえます。目の前の状況次第で自分に苦のない状況へ意識を変化させることができる「ずる賢い」人たちです。

借りたものを返さない人は、この犯罪者の心理に似て「自分という意識が希薄である」と言えるのではないかと考えます。借りた物の価値を自分の中で都合良く変えて、ほしいという感情をコントロールできない。そして「自分がない」からこその身勝手さを遺憾なく発揮しているように思えます。

なお、ここから「恥じ」という概念が抜け落ちれば、これは鬼に金棒、怖いものなしです。「反省する」という心の変転は「恥じ」の気持ちから生まれます。自分もなく、恥ずべき心も持ち合わせていないからこそ、借りたものを返さなくても平気でいられるし、なおかつ開き直ることも平然とやってのけられるのです。最悪の場合は、借りたことすら無かったこととして、知らぬ顔を決め込む者も現れるかもしれません。

不安を感じたときに取る3つの行動とは?

借りたものを、しかもリスク無く借りて使っているものに強い執着心が芽生える。何か感じる所はありませんか?そうです。幼児性です。彼らは幼児同様に手に入れたものを手放すことに極端な反応を示します。

公園にボールが1個転がっています。幼児同士で取り合いになる。一番最初にそれを手にした幼児はそのボールを誰にも貸そうとしません。誰のものかも分からないのに、自分ものとして決して他の幼児には渡さない。これが幼児的執着です。

この幼児性は甘えから発生しています。幼児期は常に誰かの保護下にあり、ほとんどの甘えは許される存在です。しかし、幼児期から成長するにしたがって、こういった甘えは通用しないということが、集団や社会に触れることで理解できてきます。
しかし、頭では理解できても、それをつかさどる意識レベルにまで広げることができない人たちが広く存在しているのは事実です。こうした人たちは「何とかなるだろう」という他人に対しても自分に対しても同様の甘えを深く抱えています。
(全ての甘えを律して神経症的に生真面目に生活するということではなく、人間の成熟過程において、甘えを内包しながらも客観的な甘えからの緩やかな離脱ができていくのが自然だということです)

甘えから来る発想はとても単純です。安易と言い換えると分かりやすい。安易に借りて、安易に返さない。その結果、相手や自分がどうなるか予測する事ができません。たとえ予測できたとしても、発想自体が甘えから出ているので、安易に「なんとかなる」と思ってしまう。

このような人たちは、相手の心情などほとんど理解できません。なぜなら、相手と同じ思いをしたこともなければ、同じ思いなどゴメンだと思っているからです。
さらに不思議なのは、このような人たちは、借りているものなのに「それを返せ」というと、強い不安やストレスを感じてしまいます。

心理学では、人が不安を感じた時に取る行動が3つあるといいます。
それは「迎合」、「攻撃」、「ひきこもり」です。
「迎合型」は、本心はそうでなくても、相手の意見を受け容れているように見せかける。返せと言われると、「そうですよね、申し訳ありませんでした。あなたも大変ですものね。もう少し待っていただければ、少しずつでも返します」と言って返さない。

「攻撃型」は、「必ず返すと言っているじゃないか。私のことがそれほど信用できないのか。この事と別に何か私に恨みでもるのか」と、逆に借りた相手をなじりながらも、あらぬ方向から事態を逆転させ自分が優位に立とうとする。

「ひきこもり」は、貝のように口を閉じ、心も閉ざして現実逃避し、いつかこの現実が無くなることをひたすら待ち続ける。

この3つとも、全ては「甘え」から派生しています。「わかってくれよ」という甘えが根底にあり、それが表現を変えた形で表に出ているだけです。自分の中の甘えを客観的に理解している人にはこういったことは起こり得ません。
こういった人たちと付き合うと、いつか心身ともに疲れてしまいます。

世の中そんなに悪い人ばかりじゃない、の嘘

人は、「私は他人より騙されにくい」と思って生きています。これが前提です。これが判断基準になっていると、警戒心が薄れ、容易に人を信用して、プロの手にかかると簡単に騙されてしまいます。

下はアメリカの大学で学生を対象に行った調査です。全く同じ質問ではありませんが、内容的にはこのような質問内容だったと思います。あまりにも極端な数字だったので良く覚えています。

・あなたは他の人よりも、騙されにくいと思いますか?(YES、NO)
・あなたは他の人よりも、怪しい説得を見破り、切り抜ける事ができると思いますか?(YES、NO)
・あなたは他の人より、多少はだましのテクニックに抵抗性があると思いますか?(YES、NO)

この問いに対する「YES」の回答率は平均で70%以上。実に10人中7人が、他人よりも騙されにくく、うまく説得を切り抜け、だましのテクニックに抵抗性があると答えたというものです。

アメリカの統計なので日本人にすぐに付き合わせることはできませんが、場合によっては日本人の方がこの「YES」の回答率が高いかも知れません。
ここで、イソップ童話の「ヤギ」「キツネ」「セミ」の話しを紹介します。異なった2つの話ですが、連続させて見ると比較しやすいので、そうしてみます。

ある日、キツネが井戸の中に落ちてしまいました。キツネは井戸から出られなくて困っています。
そこへのどの渇いたヤギが通りかかります。キツネはヤギを呼び止めます。ヤギがその井戸の水は美味しいかと訊ねると、キツネは美味しいから降りてきて飲んでみなさいと勧めます。ヤギは水を飲みに降りていき、飲み終わった所でどうやって上に出るのかキツネに訊ねます。

するとキツネは、自分がヤギの背中を伝って上に行ってから、ヤギを引き上げると言います。ヤギはキツネの言うことに同意し、キツネはヤギの背中から、角を踏み台にして井戸の上に上がって、そのまま行ってしまおうとします。そこでヤギはキツネに助けを求めます。するとキツネはふり返って「ヤギさん、あなたのアゴにあるヒゲの数ほどあなたに知恵があったなら、出る道が分かるまでは井戸の中に降りなかっただろう」と言って、ヤギを残して去っていきました。

またある日、キツネが林の中を歩いていると、木の上でセミが鳴いています。キツネはセミを食べようと思い声をかけます。「いい声ですね。そんないい声をしたあなたを一度でいいから見てみたい」」と褒めます。
ところがセミはキツネが騙そうとしていることに気が付いたので、「いや、私はキツネの糞の中にセミの羽が混じっているのを見た。その時から私はキツネを用心しているのだ。私が木から降りると思うのは間違いだよ」とキツネをたしなめました。

少し長い紹介になりましたが、ここで出てくる「ヤギ」「キツネ」「セミ」の役割は、「ヤギ」は、のどの渇きをいやせるのならあまり深く考えない存在です。いっぽう「キツネ」は、ずる賢く、いつも誰かを陥れ、欺き、たぶらかそうとカモを探し回っている存在です。私は他人よりも騙されにくいという根拠のない基準からスタートしていると、警戒心がなくなり、こうしたキツネの思うままになってしまいます。

キツネのような人は、常に人を見ています。普通の人よりもっと人を見ます。なぜなら相手から何かを得ること以外考えていないからです。

残念ながら私たち企業は、付き合う相手の会社の資産状況や営業形態を事前に見ることは可能ですが、お客様になりうる個人がどんな性格の持ち主なのかまでは事前に分かりません。

しかし、個人的に付き合っている人の性格を判断することはできます。
ちょっとした物言いや仕草、笑い方、あるいは考え方などを総合すれば、だいたい想像することはできますね。
「セミ」の視線です。イソップ童話のセミの役割は、褒められてもおだてられても、客観的に状況を判断できる目線をもった存在です。

よく観察してください。あまり悲観的になる必要はありませんが、世の中そんないい人ばかりではありません。「私は悪い人です」と一目でわかるのはその筋の人くらいです。本当にずる賢い人は、見破られるほどバカではありません。

人をだまそうとする人に共通して見られる特徴

実は、こうったキツネのような人たちには共通した第3の特徴があります。
こういった人たちは大抵「親切ないい人」たちなのです。気さくで、面倒見が良かったり、気前が良かったり、自分のために時間を割いてくれるなど、いつも気持ちよく人と接しています。そして人を観察しています。ヤギのような人を捜し回っているのです。

ヤギの持つもう1つの役割は、いつも満たされていない存在です。
ヤギは放し飼いにすると、全ての土地の植物という植物を根こそぎ食い尽くす貪欲さをもった動物です。全てを食い尽くしてもなお空腹。何事にも満足できない、いつも満たされない存在として登場します。

人間にたとえると「認めてもらいたい」、「好感を持ってもらいたい」、「愛してもらいたい」といつも思っている人、ということになります。人は少なからずこのような感情を持って生きていますが、ヤギの場合は、決して満たされることがないため「認めてください」といつも自分を認めてもらえる誰かを無意識のうちに求めています。

このような人とキツネのような人が出会うと、あっという間にキツネの餌食になってしまいます。キツネのような人たちは、意識的ではなく経験的に(本能的に)それを判断しています。彼らは「人間の最も深い原理は、好意を持たれる事への渇望だ」ということを本能的に分かっています。

なぜなら彼らこそ本当の好意を持たれたことのない荒んだ心をもっているからです。
キツネのような人は、様々な人と表面上は「いい人」として関わりながら「この人は手強い、自分の思い通りにならない」、「この人はつけ込み易い、操作しやすい」とセミとヤギを選り分けています。「そんな事ばかり気にしていたら卑屈になってしまう」と思う人がいるかも知れませんが、卑屈になることはありません。暗澹とすることもありません。

いつもそうして構えて人と接していると、人間不信になってしまうという人のために、代表的なキツネのような人の振る舞いをいくつか上げておきますので、こんな人があなたの側にいるか、もしくは出くわしたら注意してみてください。
・ 決して私の言う事を否定しない
・ 一方的に話しをする
・ いつも「大変だ」とか「辛い」という話しをする
・ いつも一緒に行動しようとする
・ やたらと褒める
・ いいと言うまで謝り続ける・・・など。
・ その人といると何となく落ち着かない
・ その人がいると何となく不安になる
・ その人といると何となく嫌な気分になる

少し解説すると、心理的に健康な人は、例えばあなたの言ったことが間違っていた場合、「それは違うんじゃないか」と冷静な意見を言うはずです。あなたに嫌われるかも知れないリスクを冒してでも、あなたの今後を考えて意見するはずです。本当にあなたのことを思っている人なら、もしもあなたが間違った考え方や明らかに間違った方向に行こうとしていることがわかった場合、あなたと喧嘩別れをしてもいいくらいの覚悟であなたと向き合うはずです。

そうした向き合うことなしにあなたの意見を否定しないということは、「あなた自身がどうなろうと知ったことではない」と思っている証拠です。特にあなた自身に魅力を感じて付き合っているわけではなく、あなたに取り入ることで、得る利益だけを考えているのです。「私の言うことを否定しない」で近づいてくる人は、あなたに取り入りたいだけなのです。

また、「いつも一緒に行動しようとする」行為は、自分にとって何らかの利益があると見込めるから、常に行動を共にしようと絡みついてくるわけです。誠実に相手と接している人は、一定の距離を保ち、相手の負担にならないよう配慮します。
決してまとわりつくような行為はしません。

さらに言うと、その人がいると何となく「落ち着かない」、「不安になる」、「嫌な気分になる」などは、あなたの本能がそれを察知して、あなたに警戒を促しているのです。

まだたくさんありますが、これらが大まかに判断しやすいキツネのような人の特徴です。
最初のうちは、キツネのような人はとてもあなたを気持ちよくさせてくれます。決してあなたの意見を否定せず、親切にあなたに接します。あなた自身が、その人を必要な人と思わせるほどの錯覚を起こします。相手も、あなたにとって、まるで必要な人であるかのごとく振る舞います。
そして最後にはあなたから何かを奪いはじめます。目に見えない親切という恩を着せて。

 あなたの傷は理解されない

気を付けてください。相手のうわべだけの親切や、まやかしの誠意に負けて小さなお願い事を聞いてしまうと、ジワジワと要求がエスカレートしているにもかかわらず、断り切れなくなってしまいます。

もしあなたの回りにこのような人たちがいたら、必ず距離を置くか、いっそのこと縁を切ってください。
もしあなたが既にこのような人たちと出会って被害に遭っているなら、すぐに貸したものを返してもらう交渉に移ってください。交渉が決裂に終われば訴訟を起こしてください。
あなたは恨まれるかも知れません。あなたは傷つくかも知れません。
でも、知ってください。相手はあなたの傷を理解できません。そして何も傷つかないということを。

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