あなたが訴訟を起こせないこれだけの理由

あまり耳慣れない言葉ですが覚えておいてください。認知的不協和。それは、
「自己イメージを否定するような、事実を認めたくない心理」=自己正当化を引き起こさせる心理
です。

人は少なからず、周囲からどのように見られているかを常に気にしています。「そんなに気にしてませんよ」と言う人でも、下着で街を歩いたり、つま先に穴の開いたシューズをわざわざ履いてジョギングするなどということはありません。この誰にでもある「周囲を気にする」心理が引き起こす心理状態の一つが「認知的不協和」です。

詐欺師がよく使う心理パターンでもある認知的不協和は、例えば、最初にたくさんのお金を使わせ、後になって「もしかして騙されているんじゃないか」と疑いをもった時でも、「こんなに沢山のお金を使ってしまった私は、なんてバカだったんだろう」と認めたくないために「私は騙されていない」と無意識のうちに信じ込む心理を狙ったものです。
そして、さらに高額なものを売りつけ、それを買い続けることで「私は騙されていない」という心理をより強固なものにしていき、泥沼にはまった時には詐欺師は行方知れずで、二束三文の価値しかないガラクタだけが部屋中にあふれかえっているという笑えない図式は、テレビニュースで見ることがあると思います。これとは逆に、要求を小さなものから徐々に上げて行くという方法もあります。

これは「私は騙されるほどバカではない」という自己イメージを、「やっぱり騙されている、なんてバカだったんだ」と否定するような、「事実を認めたくない」という心理から起こっています。

さて、なぜ「認知的不協和」が「訴訟を起こせない事」と関係があるのかというと、先に「周囲を気にする」心理といいました。人は、周囲から「こんなふうに思われている」という自己イメージを持っています。そこに欲求や願望も加わり「私はこの様な人間だ」と自分のイメージを作っていきます。

この自己イメージがくせ者です。自己イメージは、あくまでも自分の中で作り上げたイメージで、当然の事ながら、複数の知人や、親、兄弟、親戚に至る大勢の人々に、アンケートなどを取って、細かく分析した人間像ではありません。

この自己イメージが強ければ強いほど、訴訟を起こすという行為から遠ざかる傾向にあります。どういう事でしょうか。

自己のイメージが高い人の心理

例えばお金を貸す場合、借りに来た人は「あなただから恥を忍んでお金を借りに来た」と言うかも知れません。またある人は「あなたにしか頼めない」と訴えるかも知れません。情にほだされてあなたはお金を貸します。そして約束の期限が過ぎても返ってきません。

その時、自己イメージの強い人の心理状態は、「私を頼りにしてくれている(=優しい人間)。もう少し待ってやろう」。
しかし、待てども暮らせども何のアクションも連絡もありません。その時でも「私は頼られている(=お金を貸した寛大な人)」と( )内の内なる想像が、(もしかして騙されている?お金を持って雲隠れ?)などと疑う心にブレーキをかけます。
そしていよいよ連絡がないため、こちらから連絡を取ってみると、連絡が付かない。連絡が付かないどころか、様々な人にお金を借りて、音信不通になってしまったと分かります。そんな時でも、自己イメージの強い人はこう思います。
「私は騙されたわけじゃない。返せない何か大変な事情があったのだろう」と。

ここまで来ると、ただのお人好し以外の何者でもありませんが、笑い事ではありません。周囲の目を強く気にする人は、自己イメージも強いため、とにかく自己を正当化しようと努めます。
実際には、自分の懐から現金が消えたという現実だけが残り、貸したという事実も借りたという事実もそこには存在しないということに気が付かないわけです。なぜなら、何一つ証拠がないからです。

このように認知的不協和のスイッチが入ると「訴訟」どころか、「訴える」という考えにすら行き着かなくなります。
それではどうやって、この悪循環に対処していけばよいのでしょうか。

自己イメージにこだわらない

まずは、あなたの心の中にある「自己イメージ」を1度完全に消してしまってください。自己イメージは自ら作り上げた偶像に過ぎません。他人は、自分が思っているほど自分のことを意識していないということを覚え込ませて下さい。意識していないのだから、自分に対して特別なイメージも持っていない、ということになります。

そうすると、特別なイメージを持たれていないのだから、自らのイメージを固定する必要はないわけで、金銭借用のお願いを断ったり、詐欺師が持ってくるどうでもいい品物を買わなかったりしても、心を痛める必要はありません。困って頼って来た人の願い事を叶えてあげられないからといって、多少心が痛んだとしても、それは一時的なもので、時間とともに忘れます。

「そんな冷たい奴とは思わなかった」などと捨てぜりふを吐かれるかも知れませんが、落ち込む必要もありません。なぜなら人は、ある時には優しく、ある時には冷静に、またある時には情熱的になるなど、様々な個性が集まってできている多様な生き物であり、1つの固定した個性のみで生きている生き物ではないのですから。

自己イメージを完全に消した後は、相手を訴える事にも抵抗が無くなります。「これはまずい事になっているかも」という自分の直感に素直に反応できます。そうなると、音信不通になって何も出来なくなる前に、あらゆる手が打てるようになります。
自分の直感を冷静に感じることで、認知的不協和を断ち切って訴訟に向かって下さい。

自己イメージを操作されるな

気を付けなければいけないのは、お願いをするのがうまい人や詐欺師などは、「あなたにしか頼めない」などの言葉をよく使います。
この、「あなたにしか」とか「あなただから」「あなただけ」などと限定する言葉が出てきたら要注意です。「そんな事ぐらい分かっているよ」と簡単そうに思ってしまいがちですが、文字で読むのと実行するのは全く違います。いざこれを実行しようとした場合、かなり手強い相手だと思ってください。
何しろ「相手」とは「自分の心」なのですから。

「あなたにしか」や「あなただから」と言われると、そこで非常に強い自己イメージが瞬時に出来上がってしまいます。意識的にではなく無意識下の意識に形作るので、たちが悪いんです。そうした強固な自己イメージが出来上がってしまうと、「何とかしてあげたい」という感情を強く刺激して、頼みを断りづらくさせます。
お願い事に長けている人たちは、既にこの事を知っているか、知らなくても感覚で分かっていて、巧みに相手の自己イメージを操作します。

「まさか、私はそんな単純ではない」と思っているあなた。
例えば、とても仲の良い気心の知れた友達が、ある日突然思い詰めた目で「こんなみっともない事、あなたにしか言えないんだけど」と、30万円の借金をお願いして来たらあなたはどうしますか?

もちろん理由は聞くでしょう。でもその理由を確かめるすべはありますか?確かめるすべが無くても、詳しく理由を突き詰めていくうちに「私のことを信用してくれないの」と悲しい目をされたらどうでしょう。
大抵の人はこの時点で貸してしまいます。出発点であなたは「話の分かる唯一の人」という自己イメージを作られてしまっているからです。

これより1歩進んで、例えば30万円の内訳がわかる明細や、請求書などの証拠となる物でもあれば信用できるとして、そういった物を持っているか確認したり、借用書を作るから書いてほしいと言ったりすると「やはり信用されていない。結構冷たい人間だ」と下を向いてうなだれてしまったら、あなたは断ることができますか?
いくら親しく気心の知れた親友でも、お金の貸し借りに関しては、借用書などを作るなりして証拠を残しておくのは当然です。しかし、「話の分かる唯一の人」であるあなたは、そんな「水くさい他人行儀なこと」ができるでしょうか。

認知的不協和の断ち切り方が中途半端だと、ここにも落とし穴が待っています。自己イメージを作られると、思考が非常に単調になります。そしてこの心理状態でお願い事を聞いてしまうと、最後まで訴訟を起こすことに抵抗を感じてしまうのです。
なぜなら、あなたはいい人であり続ける必要があるからです。

自己イメージを操作される前に目的を明確にする

自己イメージを作られて操作される前に、自分の心の中にある意識をはっきりさせることが重要です。「貸したくない」とか「断りたい」とか「逃げたい」などという一瞬にでもよぎった自分の感情(目的)を明確に認識することです。

人には見栄があります。これも「こうありたい」「こう思われたい」という自己イメージから来ています。
見栄を張って行動を起してしまう自分を認識し、なぜあの時断らなかったのか、うまく断れた場合でも、なぜ回りくどい言い方をしてしまったのかなど、自分の行動や言動を常に考える癖を付けることによって、自分のどの感情がそうさせたのかが見えてきて、より自分というものが明確になってきます。

いつまでもいい人であり続けようとすると、「やっぱり返してもらいたい」という内なる意識と、「いつまでも私を信じて頼ってくれているんだ」という表面的な感情の板挟みになり、精神的に不安定になる可能性もあります。
借りた人は、前にも書きましたが、所有者意識の強い人であれば、借りたことを何とも思わず、何もしなければそのこと自体を忘れます。が、貸した人はいつまでもそれを忘れることが出来ません。
いつまでも心の奥底にあって消えない沈殿物のように、時々顔を出してはあなたを苦しめるかも知れません。そんなことと付き合っていると精神衛生上良くありません。

そんなものは、自己イメージとともに一掃してしまってください。
付け加えると、あなた以外にも「話の分かる唯一の誰か」がいるということを理解して下さい。

やる気を萎えさせる予期不安

内容証明を出して次のステップ、さあ、訴訟の準備に取りかかろうとした時に起きた感情が、「予期不安」だということは前にも書きました。もう1度言いますが、「予期不安」とは「まだ起こっていないことに対する不安」です。ただ、まだ起こっていないことに対して不安を抱くのは、誰にでもある心理ですが、この不安が、悪い方に悪い方に展開し、それを決めつけ、最後には行動を起こせなくしてしまうのが予期不安を抱く心理の特徴です。

予期不安は、新しい行動を起こす、または、難しい局面を突破しようとした時には必ずといっていいほど現れます。訴訟を進めていくと、新たな局面に必ず出くわします。そんな時、必ずこの予期不安が足を引っ張ります。「こんなことしても時間の無駄だよ」と。

実際、裁判と聞いただけで、「複雑+分かりづらい+未知のもの=知りたくない(面倒くさい)」という思考回路が働き、ここに予期不安「時間の無駄に終わるんじゃないか」が加わって、訴えるという行動を起こせない人は沢山いるはずです。

ただし、これを克服すると「一切迷わず行動を起こせる」かというと、そうではありません。予期不安は人の心理から消すことはできないのです。なぜなら、予期する行為は、今後の展開を予測したり、計画を立てたりといった、人間にしか持ち得ない高等な思考だからです。

問題は、悪い方向に展開していく予期不安をどう修正するかです。残念ながら特効薬は存在せず、日常の習慣づけで修正していく他に方法はありません。

自動詞公的な考え方による認知のゆがみを知る

認知のゆがみとは、自動思考的考え方が身に付いているかどうかを判断する、ということにつき
ます。

では、自動思考とは何でしょうか。「自動思考」とは、相手の発言や行動から、相手の考えを浅いところで悪い方向に予測して、それが紛れもない事実であるかのごとく感じてしまう思考回路
のことを言います。

例えば、自分の意見を否定されると、自分自身を否定されたように思い、相手を敵と思ってしまう事はありませんか。敵と思わなくても、自分を否定したいやな奴。あるいは、こいつとは仲良くなれないと。
これを「二分割思考」といい、自動思考の認知パターンの1つです。世の中は、敵か味方か、YESかNOか、いい奴か悪い奴かという思考がすぐに働いてしまう、これも認知のゆがみです。実際の世界では、敵や味方はそれほど多くなく、どちらでもない中間の人の数が圧倒的に多く存在するのに、少しでも意見が合わないと自動的に敵対対象にしてしまう。

また例えば、テレビでコメンテーターが「最近の若者は○○だ」とか「日本人は○○の傾向が強い」などというと、「若者はどうしようもない」「日本人って変だ」などと判断してしまう。これも自動思考の中の「過度の一般化」と呼ばれるものです。一つの事柄が広く一般的なことと思えてしまう。
過度の一般化と似ていますが「レッテル貼り」という思考も見逃せません。レッテルとは、一方的に評価、判断を下すことです。レッテルの根拠となる事実を確認せず、聞いたままに「あいつはこんな奴だ」「あの会社は悪い会社だ」などと、疑うことなく評価を鵜呑みにしてしまう。これも認知のゆがみから生じます。

自動思考の強い人は、起こった事象に対して、そこに至る様々な要素が背景として存在する、ということを理解しようとしません。また、それを熟考することもしないので、短絡的評価や結論にすぐに飛びつきます。なぜなら、考える必要がないからです。

これは出来るだけ考える事をしたくない「脳」という器官にも関係があります。脳は休みたい器官だと前に書きました。できるだけ働くことをしたくない、サボっていたい器官です。この脳は、働かせようとすると、働かせないようにするために様々な手段を講じます。
特に新しい(未知の)情報に対する反応は極端で、できるだけ手っ取り早く簡単に回答を探し、処理してしまおうとします

そこで、自動思考的に短絡な結論に飛びついていれば、考えるなどという辛いことはしないですむわけです。この、嬉しいことはしたいが辛いことはしたくないという身勝手な脳は、これも習慣づけていくしか矯正する方法はありません。これには強い覚悟が必要です。

脳は様々な情報を処理して行動を起こす入出力器官ですが、その一番表面に覆い被さるように「意識」という層があります。この意識で脳が何を行っているかを知ることができるわけです。脳の出力をコントロールまたは監視する脳のモニターと言ってもいいでしょう。

この意識をフル活用して、脳に分かりやすく解説してやる必要があります。本質が面倒臭がりやの脳ですが、色々な入力情報を、常時結びつけたり、切り離したりして、休むことなく整理をしています。そんな中で、新しい情報をムリヤリ押し込んで脳に「整理してくれ」といっても言うことを聞きません。

五感から飛び込んでくるあらゆる情報を常に整理をし続けている脳には、文字で書いて、そしてそれを整理した形で見せてやる必要があります。常に整理を繰り返している脳は、整理されていない漠然とした情報を容易に受け入れることはしませんが、ある程度整理されたものは、好きな本を読むのと同様に結構すんなり受け入れてくれます。

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